マスコミでは報じられない正しい情報をより多くの方々にお伝えしたいという思いから、《中丸薫のワールドレポートVol.43》の内容を特別に公開することにいたしました。

* 中丸薫のワールドレポートは毎月一日に発行されます。

《中丸薫のWORLD REPORT》 Vol.43 2002年5月号 INDEX

◆国際情勢◆
『イスラエルとは何者か?』

同時多発テロ事件後、フランスやアメリカで囁かれているうわさとは…。
緊迫する中東情勢と、その後に来る移住計画とは…。
◆トピックス◆
『あなたにしかできない使命がある』

人が自らの「命」を「使う」ことの意味とは…。

◆交友録◆
『福田赳夫(一九〇五〜一九九五年)』

田中元首相の強烈な陰に隠れながら、自らを「内閣掃除大臣」と呼んだ経緯とは…




◆国際情勢◆
『イスラエルとは何者か?』
米で火を吹く「テロはモサドの陰謀」説

 中東情勢が混とんを極めている。思い起こせば、惨劇の発端は二〇〇〇年九月、シャロンがまるでパレスチナを挑発するかのように「神殿の丘」を訪れたことにある。シャロンは政権の座につくと、クリントン政権と蜜月だったネタニヤフを即座に追放した。しかし、昨今世界的にわき起こってきた「反ユダヤ主義」の国際世論をかわすため、今またネタニヤフを呼び戻そうとしている。ネタニヤフは米国に拠点を置くシオニスト右派勢力の指導者であり、オスロ合意に同意したラビン元首相を暗殺した事件の黒幕とも言われている。

 ネタニヤフはつい先頃、米LAタイムズ紙で「軍事力のみが平和を成功に導く」との論説を展開し、「パレスチナ自治政府を解散させ、アラファトを追放すること。パレスチナ居住区を包囲し、テロリストを追放し、組織を壊滅させること。安全国境線を設置して、テロリストのイスラエルへの潜入を食い止めること」などを主張している。これだけ公然と「軍事力の行使は当然である」と語られるようになったのも、同時多発テロ以降の話である。あのテロがなければ、イスラエルが強硬路線を突き進むことを国際世論が許さなかったであろう。「あのテロは仕組まれたテロだった」という説は、中東情勢が緊迫すればするほど、信ぴょう性を帯びてきている。

 昨年フランスでは「同時多発テロはモサドとCIAの陰謀である」とする本が出版され、話題を呼んだ。また、アメリカでは同時多発テロへのイスラエルの関与を追求するドキュメンタリー番組が放映され、物議をかもした。その番組は、フォックスニュース社が昨年十二月十一日から四日連続で放映した「米国におけるイスラエルのスパイ活動」というドキュメンタリーで、「イスラエルはかねてからアメリカでの諜報活動を行っており、テロについても事前に情報を握っていながら、あえてそれをアメリカに知らせなかったのではないか」との説が検証されている。その根拠になっているのが、アメリカにおける電話通信システムの核心部分に「アムドックス」というイスラエル企業が、また犯罪捜査に利用する盗聴システムの設置・運営に「コンバース・インフォシス」というイスラエル企業が関与しているという事実である。

 番組によれば、「アムドックス」社は全米上位二十五社の電話会社と契約し、アメリカでかけられるほとんどすべての通話についてコンピュータによる通話記録、料金請求資料を作成しているという。その影響力は、「アムドックスに記録を残さずに通話することは不可能」と言うほどなのだそうだ。一方の、「コンバース・インフォシス」社は、イスラエル政府から研究開発費の五〇%の補助を受け、アメリカの捜査機関に盗聴装置を納入している会社で、盗聴対象となる通話は同社のネットワークに接続されて記録、保存され、捜査官に転送される仕組みになっているという。そしてそのシステムには、一九九四年に制定された捜査通信支援(CALEA)法に基づき、同社社員が「保守管理」を名目に常時アクセスできるのだそうだ。つまり、アメリカでは誰がどこに電話をかけたか、誰が捜査機関の盗聴対象になっているか、盗聴対象の人物は何を話したか、がすべてイスラエル企業に筒抜けになっているというわけである。

 番組では、取材に協力した捜査官たちが「『イスラエルがコンバース社を使ってスパイ活動を行っているのではないか』などということを追求しようものなら、出世の道はただちに閉ざされる」。「FBIが疑惑を追求したことがあるのだが、盗聴装置を実際にテストする直前になるといつも決まって捜査が行き詰まる」。「極秘とされているはずの盗聴装置がしかけられたとたん、盗聴・監視の対象となった容疑者たちが通信方法をすぐに変えてしまう」などと困惑気味に語っている、と報道された。

ユダヤ人、日本へ大量移住?

 この番組を見た愛国心に燃える米国民たちは怒った。だが、CIAはシオニストの戦略部隊としてこれまでも世界各国でテロリストや民兵を養成し、紛争地帯に送り込み、戦争と混乱を引き起こしてきた「実績」を持つ。下院議会では、ある女性議員から「大統領は事前にテロを察知していたのではないか」との質問が飛び出したが、恐らくブッシュは本当に知らなかったのであろう。なぜなら、オイルメジャーの家に生まれたブッシュはFBIを重用し、CIAの中枢からは蚊帳の外に置かれているからだ。ブッシュがことのからくりを知ったのは、テロをいち早く知り、ブッシュに電話をかけてよこした元KGBトップ、プーチンのお陰だった。アメリカ大統領より、ロシア大統領の方がアメリカ国内に確かな情報網を持っていたというのは何とも皮肉な話である。ちなみに、今フォックスニュースのホームページにアクセスしても、この番組のことは掲載されていない。すでに削除されてしまっているのだ。

 このような話は、平和な日本では映画の中の話に思えるかも知れない。しかし、今アメリカではシオニストにそそのかされたクリントン政権の残党を整理し、国益ならびにアメリカの威信を奪回しようとする勢力(主にWASP)と、そうさせまいとする勢力(シオニスト)とが激しくぶつかり合い、権力闘争をくり広げている。それは、闇の権力内部の内ゲバが激しさを増していることを意味し、中東情勢はその代理戦争の如き様相を呈している。

 テロへのイスラエル関与説を裏づけるように、イスラエルは同時多発テロ後、パレスチナ人を追い出した後の構想として、新たに一〇〇万人のユダヤ移民を迎え入れる計画を策定している。一体、一〇〇万人もの移民をどこから連れてくるのだろうか。アルゼンチンである。アルゼンチンはジョージ・ソロスの支配下にあると言われ、今回の経済破綻も(彼のいつもの手法と同じように)彼のシナリオによるものと見られている。アルゼンチンからはすでに二〇万人もの人々が国外へ流出し、その一部は「あなたたちの先祖はスペインからやってきた。あななたちはその末裔であり、ユダヤ系民族である」との選民思想を植え付けられているという。このやり方は、二〇世紀最大の悲劇、ナチスのホロコーストでも用いられた。あの時、シオニズム運動の指導者たちは「自主的な移住を待っていたのではイスラエル建国は難しい」と判断してナチスドイツと手を組み、ユダヤ人の大量移住を企てたのだ。驚くべきことである。

 しかしそれで驚いていてはいけない。今後「ユダヤ人」が移住する先として、日本が取りざたされているのである。その象徴が、品川から湾岸にかけて行われている大規模開発である。山手線から見える建設途上の高層ビル群は確かに不気味だ。あれを見て、「この不景気にあんなにビルを建てて、はたして借り手があるのだろうか」と思った方も少なくないであろう。まさか大量移住してくるユダヤ人のためとは一体誰が考えたであろう。日本がこのまま国家としての統帥権もアイデンティティも失ったままでいるならば、この国はこれまでニューヨークを中心として活動してきたユダヤ金融資本に席巻され、傀儡国家になってしまうのではないか、そんな危機感が現実のものとなってきた。日本人の霊性の目覚めを急がなければ、と思う今日この頃である。

 


◆トピックス◆
『あなたにしかできない使命がある』

 先日、新刊『真実のともし火を消してはならない』(サンマーク出版)を書き上げた。書いている間、アフガンや中東の混とんを思い、こうして自分の体験や考えを自由に述べ、書ける日本は何と平和で恵まれているのだろう、と改めて思った。だが、一方で、易きに流れる日本の今の風潮に切実な危機感を感じるのも事実である。かのトインビー博士は言った。「国家が破綻するときは、国がビジョンを失った時だ」と。今の日本は、個人も指導者も自立することを放棄し、ビジョンを失っているように見える。

 私がマスコミの最前線で忙しい毎日を送っていた一九七〇年代、日本には個人にも指導者にもビジョンがあり、それぞれが自立した個人として自分の使命にまい進していた。私自身、まだ日中の国交がないとき、コロンビア大学での研究成果が大きく評価されて度々中国に招かれ、「日中友好の掛け橋になりたい」と大いに情熱を燃やしたものだった。当時、「日中友好はどうあるべきか」について度重なるミーティングを重ね、お話をさせていただいた田中角栄氏、福田赳夫氏、三木武夫氏を始めとした指導者たちも、国づくりに燃えるような理想と信念を持っていた。

 こういう話をすると「そういう方々は『特別』ですよね。私はただの勤め人ですから」「主婦ですから」とおっしゃる方がいる。しかし、私にしてみれば、誰もが『特別』であり、『オンリーワン』であり、かけがえのない存在である。確かに人生には「貧乏な家に生まれた」とか「男に生まれた」とか、自分の意志では動かしがたい境遇があるが、その境遇は魂の修行のために自ら選んだものであり、人生の目的は、その環境の中で神の愛に近づくために努力をすることにある。あの世の入り口に立ったとき、生まれや肩書きや財産が、一体何の意味を持つというのであろう。あるのは「人生においてどれだけ愛を実践したか」のみである。

 人は愛の実践を、自らの使命を通じて学習する。その使命は、あなたにしかできないものである。それがどのような使命であろうとも、人はそれを通じて誰かのために「命」を「使う」喜びを知り、神意識へと近づいていく。主婦として家族の心身の健康を守ること、来社したお客様のために美味しいお茶を入れること…どのような営みであれ、それが人間の営みである以上、そこには「心と心の対話」が交わされ、それによって互いの信頼関係は深まっていく。

 それで思い出すのが、日中国交回復に向けた「心と心の対話」のことである。戦争の傷跡を負う両国にとって、互いの国との対話はなかなか心が開けないものである。最初はどちらも「あちらが譲歩すればこちらも考えよう」という姿勢だった。そんな相手と話をするには、間に入るこちらがまず心を開き、無私の心で接することだった。日中国交回復は、両国の友好を願う多くの公人、私人の「心と心の対話」の上に実現したものだったのである。

 人間には誰しも神の分け御霊としての良心がある。閉ざされた心も、ひとたびその良心に触れることができれば、必ず温かい血が通い始める。私は相手が誰であろうと思ったことをずばずば言う性格だが、それでも世界の要人に信頼を寄せていただいているのは、私がいつも心を開け広げ、真心で話しているからだと思う。私は政治家が差し出すお金は例え一円たりとも受け取ったことがないし、国家間の交渉事をまとめて特別な役職を拝命したこともない。いつも一個人として、やはり一個人である相手の心に語りかけているだけである。もしも、心のどこかに「功なり名を遂げたい」という邪心があったなら、天は決して今のような仕事はさせて下さらなかったであろう。

 これから日本は益々混迷を極めそうだ。知り合いの元大蔵官僚が言うには、六五四兆円と言われている日本の債務は、実は一〇〇〇兆円に達しているという。また、郵便貯金のうち四五〇兆円は円や株を買い支えるために国際金融資本の手に渡ってしまったという。それでも、五十三兆円の歳入に対して八十五兆円の予算が組まれるということが毎年行われているのであるから、日本はもはや「破産」と言ってもいい状態である。だが、恐れることはない。地球はこれまで過去七回、ノアの方舟と同じような体験をしている。そして、今日本に降りている魂はその体験を共有した仲間たちであり、今度こそ壁を乗り越える決心をしてきている。私たちがやるべきことは、自らの心を湖面のように澄みきらせ、宇宙からくる知恵に耳をすますことである。そして、一体自分は何のために地上に降りてきたのか、どんな国をつくりたいと思ってきたのか、それを思い出すことである。

 先日、鞍馬山の「サナトクマラ」に会いにいく機会があった。「サナトクマラ」とは、地球を守る霊体の中でも、玉座に君臨するとされているが、「いよいよ時が来た。日本人は誇りを持ちなさい」と私に語りかけてきた。自立した国家は、自立した個人から生まれる。そのことを忘れず、一人一人が国生み物語の主人公になったつもりで、ビジョンを描いてみようではないか。

 


◆交友録◆ 福田赳夫(一九〇五〜一九九五年)

 一九七〇年代、総理候補は「三角大福中」と称された。福田氏が政権についたのは、三木元首相や田中元首相の後、齢七十一の時のことだった。大蔵大臣時代に石油危機を乗りきった氏は、「経済の福田」として景気回復にただちに取り組み、外交にも意欲を燃やした。特に力を入れたのが、交渉が難航していた日中平和条約だった。

 「中国のことならあなたしかいらっしゃらないと思いました。日本と中国はどのようにつきあうべきでしょうか」

 幾度となく重ねたミーティングは、いつもこちらが圧倒されるくらい熱心だった。役に立ちそうな本をすすめれば、すぐさま買って勉強する。田中元首相の強烈な個性のかげに隠れがちな氏ではあったが、日中平和条約には明快なビジョンを持っていた。その志を誰よりも理解する園田元外相は、「条約が締結できなければ切腹するつもり」で中国へ向かった。その緊迫感は、帰宅したとき「帰ったぞ」と言ったきり、玄関で倒れ込んだほどだった。

 一九八九年、『世界平和のためのシンポジウム』の構想を携えて帰国した私を、福田氏は満面の笑みで迎えてくれた。主旨に賛同していただきたいと伝えると、すぐさま政調会長を呼んだ。

 「アベちゃん、中丸先生とはもう長いお付き合いでね。ぜひこれにサインしてあげてよ。それと先生、アメリカに戻ったら、せっかくだからキッシンジャーにもお会いになったらいかがです?私が手紙を書きますよ」

 数々の名言・迷言を残した方でもあった。日中平和条約、成田空港開港、日韓大陸棚条約など、歴史に残る偉業を成し遂げながら、「三木」や「角栄」政権の後始末に追われた自分を、「内閣掃除大臣」と表現した。再選を目指した一九七八年の総裁選予備選で敗れた時には、「天の声にもたまにはおかしな声もある」との名セリフを残した。

 福田氏とは約二十五年間、お付き合いをさせていただいた。日中関係のことで議論を交わしたことも、今では懐かしい思い出である。

 


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